2014.09.30
「勝ったら謙虚に! 負けたら素直に!」というモットーに出会ったのは、卓球の関東大会会場である。県大会を勝ち抜いた各高校の応援旗の、たとえば「一球入魂」「躍進」「努力」といった言葉の中にそれはあった。何かとてもたいせつな「精神」がさりげなく語られているように思えて、目に留まることになった。
5月から6月は、3年生にとって集大成となる県大会がつづく。私は可能な限り応援に出向き、勝利を飾った試合には拍手を送って喜びを共有した。しかし、負け試合が必ず訪れた。敗北が決定したその瞬間、やりきれない気持ちがひろがって、とても「負けたら素直に!」という気持ちにはなれなかった。
「あのとき、……していれば」といった思いが頭をよぎったりして、気持ちが整理されて冷静になれるまでかなりの時間を要した。当事者である選手や監督そして保護者は、私には想像できないくらい深い「心にぽっかりと穴の開いた状態」に居つづけたのではないだろうか。
県大会が行われた時期は、サッカーのワールドカップで日本チームが敗退し、引き分けに終わってがっくりし、勝てない原因をあれこれと言い合う時期と重なっていた。敗北をわだかまりなく受け止める、それはそう簡単にはできないのだろう。
バスケットボール部とソフトボール部の敗北を目の当たりにした私は、「負けたら素直に!」という教えの崇高さを心から感じ取れるようになった。敗北を悔やんで仲間のプレーをなじったり、相手チームを恨んだり、審判のジャッジに八つ当たりしたりしない。「敗北した」という事実を率直に受け止めて深呼吸し、これからの新しい人生の肥やしにしていく。アスリートとして心の根っこに置くべき精神がこの言葉に込められていると、強く思うようになったからである。
そう考えるならば、選手が人目をはばからずに泣き崩れている時間は、敗北の事実と全身全霊で向き合う、まさに《素直》な時間であった。あのとき、どの選手も目を潤ませ、涙を流し、あたりを気にせずに泣き崩れていた。それは、一生のなかで幾度もない「負けて素直になる」尊い時間であったのだ。
「勝ったら謙虚に!」とは、勝ち誇って有頂天になったり、自信を持ちすぎて鼻持ちならなくなったりすることを戒める教えであろう。驕る平家は久しからず。気のほころびは、勝って謙虚さを忘れたときに訪れる。勝ってカブトの緒を締めよである。